Reach One|株式会社ビズリーチ(BizReach)【企業公式ブログ】

株式会社ビズリーチの公式ブログ「Reach One(リーチワン)」です。 Reach Oneでは、ビズリーチのメンバーやプロジェクトの紹介、社内外のイベントレポートなどを通じて、「ビズリーチのイマとこれから」をお伝えします。

REACH ONE

ビズリーチのイマとこれから

「失敗しまくれるって素晴らしい」|中嶋 孝昌(執行役員)

ビズリーチの各事業や組織をリードする幹部をご紹介するビズリーチ「キャリアインタビュー」。

今回は、執行役員であり、キャリアトレック事業部長兼マーケティング統括部長の中嶋にインタビューしました。
中嶋は、新卒で広告制作代理店に入社。3年勤めた後、フリーのライターとして活躍し、編集プロダクションの会社を設立。その後は、ITベンチャーでのWebディレクター、取締役を経て、ビズリーチに転職。
起業経験もある中嶋に、キャリアについての考え方を聞いてみました。

失敗しまくれるって素晴らしいな。

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中嶋 孝昌 / Takamasa Nakajima
立命館大学を卒業後、広告制作代理店に入社し、営業、制作などを3年間行う。その後フリーライターとして仕事を行い、編集プロダクションを起業。3年ほど経営した後、ITベンチャーにWebディレクターとして転職。取締役として活躍した後、2011年7月、ビズリーチに入社。現在は、執行役員。キャリアトレック事業部長兼マーケティング統括部長。

失敗の中から成長と変革が生まれる

無邪気に失敗しまくれる人って素晴らしい。なにごとも失敗しないとうまくならないことはみんな知っている。でもなぜか大人になると失敗が怖くなってしまいます、私も含めて。それどころか、うまくいっていないことを自分で認められなくなってしまったりします。
まずやってみて、当然のように転んで、でもまたチャレンジできる。ビズリーチにはずっとそんな環境がありました。

そして私はビズリーチを、チャレンジと失敗と成長の現場にし続けたいなと思います。みんな、子供みたいに自分らしくいてほしいんです。

新卒で小さな広告制作代理店に入社

私は京都出身で、立命館大学の国際関係学部を卒業しました。在校生の大半が帰国子女という特殊な学部で、当時は就職氷河期といわれる時代でしたが、比較的早い段階で上場企業2社から内定をもらいました。どちらかに行こうと思っていたのですが、あるとき京都にある20人規模の小さな求人広告の制作代理店から「説明会に参加しませんか?」と案内が。その会社は、もともと大手人材サービス会社の京都支社長が独立してつくった会社で、就職活動時、広告業界にも興味があったので、なんとなく行ってみることにしました。

説明会に参加して、翌日、社長に焼き肉をごちそうになりながら会社の話を聞きました。まさに、今の弊社サービスの「ニクリーチ」です(笑)。話をしていて、とても魅力を感じてしまい、決まっていた大手企業の内定を辞退して、この会社に入社することにしました。当然のように親は大反対だし、周りからも考え直せと言われました。私の人生が変な方向に曲がり始めた瞬間。全く後悔はしていないですし、今はむしろ良かったと思っていますが、今でもこの時、大手企業に就職していたらどうなっていたんだろう、と自分のアナザーストーリーを妄想したりはします。

それはさておき、新卒最初の1年間は営業を中心に、2年目からは制作ディレクターを兼務しました。 今では考えられないと思いますが、当時、新卒社員である私には専用のPCがないわけです。社長に「PC使わないんですか?」と聞いてみました。すると、「使うなら、自分で買ってきて」と言われて、量販店に出かけていく、そんな時代でした。 当時、インターネット広告なんてほとんどなく、受発注や請求など基本は紙。企画書も納品物も紙。 私は大学時代に学内のインターネット普及プロジェクトに関わったり、アドミニストレーターのボランティアをしていて、これからはインターネットでしょ、と思っていました。もっとネットの仕事をしたい。もっと大きな影響力を持つクライアントの仕事がしたい、そればかりを考えていました。

個人で始めたHPが転機に

入社2年目で業務のかたわら、ネット上で就職活動にまつわるウェブサイトを立ち上げ、記事を書きはじめました。今で言う「ブロガー」ですかね。すると、あるとき私が書いた記事が雑誌で紹介され、東京の出版社にコネクションができました。編集の方と意気投合し、気づいたら雑誌に連載を持っていました。

そんなこんなで会社に在籍しながら、京都と東京をよく行き来するようになり、次第に東京での活動が楽しくなりました。というか、ネットのしごとは東京じゃないとムリ!と完全に気づき、当時いた会社に東京支社を出そうとダダをこねまくり、それから転職を意識するようになりました。

結局、その会社にはちょうど3年間在籍しました。仕事は2月の頭に終え、東京へ。その日の夜に最後の仕事を終えてそのまま夜行バスに乗り、気づいたら早朝の新宿に。めちゃくちゃ雪が降っていて、「これからどこに行こうかな」とぼんやり悩んだのを覚えています。

恥ずかしながら、次の仕事も住まいも何も決めていませんでした。最初の会社の社長や専務から、東京の知人や広告代理店をたくさん紹介してもらっていたので、とりあえず会いに行きました。 みんないい方々ばかりで「お金も住むところもなくて」と伝えると、ちょっとした仕事をいただけました。帰る家がないのにはぶっちゃけ参りましたけど、そういうのはまあ、なんとかなるものです。 連載していた出版社からも、隣の編集部を紹介していただいたりして、ふと気づけばフリーランスのライター・ディレクターとして3年が経っていました。結局、転職活動は1社もせず、20代のほとんどをふらふらと自由気ままに生きてしまいました。

組織の力学を理解できず、組織がバラバラに

メディアと広告の世界にいよいよインターネットの波がやってきて、あらゆる雑誌が紙からオンラインメディアへかじを切っていく中、私のようなフリーの人間にも、一人では到底できないほどの仕事が舞い込むようになりました。27歳のときに編集プロダクションを立ち上げ、ライターさんやデザイナーさんを雇用するようになりました。

起業といっても、ビズリーチにあるミッション、ビジョンのようなものは特になく、マネジメントも全く分からない。増える仕事と反比例するように、組織はやがてバラバラになっていきます。 これはいかんと、20代の最後になってマネジメントの必要性と重要さを悟り、経営書や自己啓発書を何百冊か読み、いろんな気付きを得ました。おお!なるほどー、と思ったものの後の祭りで、私の会社は3年で空中分解してしまいます・・・。会社を売却した後、私は再度サラリーマンに戻ってやり直すことになりました。

編集プロダクションでの失敗から、「組織づくり」への思いが強くなる

30歳でお気楽なインハウスWebディレクターに戻った私は、途中から事業開発やプロダクトマネージャーとして働き、最後は役員を務めました。大好きなネット業界で、気づけばまた6年間が経っていました。社長もメンバーも魅力的な会社でした。

入社当時は20名くらいの組織でしたが、次第に人も増えて「仕組みやサービスを創る」ことに時間を使いました。ぜんぜんお金のない会社でしたけど(笑)、それでもみんな、いきいき働いているんですよね。愚痴とか言わないし、夢にあふれていて。やっぱり、みんなやりたいことをやる、っていうことが大事!って、その時も思っていた記憶があります。

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限界をつくらず挑戦できる環境を求め、ビズリーチへ

2011年、東日本大震災の年にビズリーチへ転職します。きっかけは他社からのヘッドハンティングでした。ちょうど心が傾いたときに震災が起こり、自分の転職どころではなくなりました。従業員の安全のため全員を避難させた後、会社の経営に必要な対応に追われる日々。その間に、私を誘ってくれた会社への転職話はなくなりましたが、会社を出て新しいことをしたいという気持ちは変わることがなかったので、震災の対応が落ち着いたタイミングで、改めて自分の進路を考えました。

前職を辞めようと考えた理由は、自分の成長実感がなくなったから。それがビズリーチへの入社の決め手にもなりました。もっと大きなサービスを、もっと世の中に大きな価値を、と思うほどに、ここに長くいちゃいけないという想いが強くなるわけです。

ちょうどそんなときに、南に相談しました。「中嶋さんは、もっとできるはずですよ。今のままで終わるんですか」と言われました。痛いところを直球でついてくるなぁ、と。 ベンチャーの意義はスピードとイノベーション。倍々のスピードで事業も組織も成長しなければベンチャーではない。組織が1年で倍になったとき、一番のボトルネックになるのは柱となる人材だ、とも言われました。 それが、私には刺さりました。年間の成長率を110%とか120%で予算計画していた自分。当時の私は、「1年で倍に成長させる」なんてことは考えたこともありませんでした。 実際、ビズリーチに入社してからの数年間は、携わるサービスが倍どころでない成長を遂げていきます。やれば、できる。まず、志と意志を高くもち、挑戦する。後のことは後から考える。ビズリーチに入らなければ、一生わからなかったかもしれないです。

失敗しても早く修正することで、人は成長する

ビズリーチに入って、まずビジネス開発部門の立ち上げをしました。その後パートナーセールス、マーケティング、人事採用、CS(カスタマーサポート)の立ち上げ、プロダクトマネージャーの組織の新設、新規メディアリリースと、さまざまな業務に関わりました。もこもこと仕事が湧いてきて、とてもじゃないけど全部できないから、必死で仲間を探して、もこもこと闘い続けるみたいな感じで、いつも後ろ髪をひかれ、みんな頼む!と祈りながら異動していた記憶しかありません。

2015年2月から直近2年間はマーケティング全般を統括しながら、ビズリーチ事業の本部長を兼務しました。ちょうどビズリーチが初めてのTVCMを行った時期からです。 放映当時は「社運をかけて」、「これまでしたことがない額の投資」、「失敗したら、、、」と大きなプレッシャーがかかるなか、マーケの長として、また主幹事業の長として、仲間とともに勝負してきました。おかげで髪の毛がだいぶ抜けましたけど(笑)、結果は上々でした。 ビズリーチ事業が1つの柱を確立したタイミングで、一緒に事業を創ってきた酒井にバトンを受け取ってもらいました。

かっこよく話しましたが、実のところ、ビズリーチに入社して6年間、私にとっては成功よりも、ほとんど失敗の歴史です。役員に叱責された回数は、たぶん誰にも負けないことでしょう。それでも、失敗しても、失敗しても、新しい仕事が待っている。私はそこがビズリーチの懐の広いところだと思っています。

上司や会社の期待に応えられるのはとても素晴らしいことです。しかしそれより尊いのは、自分が自分らしくいられることです。絶えず自分を何者かに変えようとする世界の中で、自分らしくあり続けるのは、とても難しいことのように感じます。そのカギの1つが、失敗を恐れず活動できる環境があることなんじゃないかなと、そんなことを思っています(個人の感想です)。

南はいつも「中嶋さんはどうしたいの?」と言います。ああしろこうしろじゃなくて、どうありたいのか、と聞いてくるわけです。 「自分がこうと思ったことをやってみよう、失敗しても構わないし、失敗したと分かったらすぐに修正すればいい。」そう思って仕事をするようになってから、私自身、不思議と心が軽くなりました。変な無理をしなくなったし、自分の至らないところを助けてくれる仲間のことが本当に頼もしくなりました。

組織が大きくなる中で、チャレンジできる環境と文化を維持するのはなかなか難しいものだなと実感します。 でも、まずやってみて、当然のようにできなくて、でもまた挑戦できる。私はいつまでもビズリーチを、チャレンジと失敗と成長の現場にし続けたいと考えています。そんな環境で創られるからこそ、振り切ったいいサービスができる。そういうサービスが、世の中の課題を本当の意味で解決すると思うんです。

誇りを持ち、描いた未来を実現できる組織をつくりたい

2017年8月からキャリアトレック事業を担当することになり、事業部のみんなでミッション・ビジョンをいちから作り直しました。ミッションは「若者が自分の選択肢と可能性に向き合い、誇りあるキャリアを歩める社会を創る」、ビジョンは「『出逢い』『気付き』『学び』の場を提供することで、キャリアにおける軸の形成を助け、描いた未来を実現する力を育む」

これからは日本の若者が、失敗したり悩んだりしながらも、誇りあるキャリアを実現できるような、そんなサービスを創っていきます。同時に、事業部のメンバーみんなが誇りを持って、自分たちがやるべきことを実現していく組織をつくりたいという想いを込めました。

これからも私はオフィスの端で、人知れず転んで「てへぺろ」と言ってるおじさんでいたいと思います。

過去のキャリアインタビューはこちら
「日本一のインサイドセールスをつくる」|茂野 明彦(ビジネスマーケティング部長)
「打席に立ち続けて気づけた、自分の強み」|津村 信太郎(執行役員)
「人の一生に寄り添った仕事がしたい」|古野 了大(サービス開発本部長、HRMOS採用管理事業部長)
「楽しみながら仕事ができれば、行き着いた先も楽しい」|酒井 哲也(ビズリーチ事業本部長)

※役職名は、取材当時のものです。